鎌倉時代、都の若武者・和田平太胤長(たねなが)は、時の執権・北条時政の悪政を改めんと討伐を企てました。
しかし、策謀は事前に発覚し、胤長は遠く奥州岩瀬の地へ流されてしまいました。鎌倉に残された胤長の妻・天留(てる)は、夫への慕情耐えがたく、夫の跡を追ってひとり奥州へ。
幾日も歩き続け、ようやく鏡石へとたどりついた天留を待っていたのは、夫の非業の死でした。悲嘆に打ちのめされた天留は、もはや生きる望みはないと、沼に身を投げたのです。
この時、彼女が胸に抱いていた鏡は、今でも水底から哀しげな輝きを放ち続けていると言われています。
古い文献によれば、この沼には蜃気楼が起きると言われ、芭蕉も「奥の細道」の中で、「かげ沼という所を行くに、今日は空曇りて物影うつらず」と、期待した“物影”が見られなかった心残りを記しています。
かげ沼と云所を行に ~ 鏡沼跡(鏡石町)
 
場所:鏡沼
住所:福島県岩瀬郡鏡石町鏡沼
連絡先:0248-62-2111(鏡石町 総務課)
アクセス:東北自動車道鏡石スマートICより車で10分
ホームページ:http://www.town.kagamiishi.fukushima.jp/sp/kanko/cat2/000201.php

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