稲福さんは、沖縄県那覇市出身、東京育ちの38歳滝根町で就農5年目。
沖縄出身の若手農業マン。
お宝リポーター、エプロンおじさんこと南です。
去る11月7・8日に開催した「まざっせアーケット、新米食べくらべ販売会」に出店参加してくれた、滝根町の若手農業家、稲福和之さんをご紹介します。

稲福さんは、沖縄県那覇市出身、東京育ちの38歳
小学生低学年に沖縄から東京の工業地帯に転居。その頃から、小児ぜんそく(公害認定)にかかり苦しんだ体験をお持ちです。
「そのあと、自然に囲まれた町田市に引っ越したんですが、空気がきれいなところだったので、ぜんそくが止まり、健康が回復したんですよ」。
高校を卒業後、専門学校に進み環境分析科を修了。その後、環境関連の会社に入社、企業への環境指導や水質検査、汚水の管理指導の仕事に従事しました。
「環境問題に興味がありました。特に意識したわけではないのですが、振り返ってみて小さい頃の喘息体験、良い環境で生活するだけで、健康になれたと言う実体験。この事が意識の中にあったのか、専門学校での環境に関する勉強と会社での経験で、漠然となんですけど、自然と触れ合える生活に、何かあこがれのようなものがありました」。
その後NPO団体「地球緑化センター」の「緑のふるさと協力隊」に参加。1年間の田村市滝根町の生活をおくることになります。
「滝根町の施設に住み、農業体験、町の施設の仕事を通じ多くの人たちとの交流させていただきました。とくに神俣若連会のみなさんと深いお付き合いをさせていただきまして、1年間の任期終了時に神俣若連会の方から、残って農業をするよう勧められたんです。それに、滝根の専業農家、農業博士と称される佐藤今朝一さんとの出会いが、ここに残って就農するきっかけになりました」。

最初は土地を借りてのスタート。10数年間使っていなかった荒れた土地をお金と労力を費やし田んぼとして整地したものの、やむなく地主に返還しなければならないという苦い経験もされたそうです。その後はタイミングよく、農業をやめる方から土地を譲り受け米作りに専念されています。無農薬の稲作栽培は、初年度は前年の農薬の効果が残り、雑草の生え方も少なかったそうですが、2-3年と経つうちに農薬の効果が弱くなり、草取りをする苦労が多くなってきたといいます。農薬を使えば草の処理も減り、収穫量も多くなるのですが、それでも無農薬での生産を続けています。私は、安全で美味しい米を作ることを何か楽しんでいる風にも感じました。

稲福さんがつくる生産物は、米、黒米、エゴマ、白菜、ジャガイモ、トマト等の野菜類。
米は収穫量も少なく知り合いだけに、数量限定で販売。黒米作りは今朝一さんを中心とした農家で改良を加え滝根の風土に合った商品に改良し販売しています。野菜類は近隣のスーパー、直販所等に出荷。また、えごま油に付加価値をつける商品開発にも力を入れています。生産者は、商品開発、宣伝、営業マンと何役もこなさなければこれからの農家は成り立たないと考えているそうです。
12月初旬から3月頃まで、裏磐梯「グランデコスキー場」に出稼ぎに行くという稲福さん。楽しいスキー三昧の日々が待っているのではなく、農業での収入の不足分をスキー場で働いて稼いでいます。ここでの稼ぎは年収の半分だそうです。
稲福さんの第一印象は、まっすぐな眼差しが印象的、好青年であると感じました。農業への気負いよりも今を楽しむという生活スタイルの中に、何か一本芯の通ったものがあるように感じました。これも滝根町の環境、人間関係に支えられてのことだと思います。地域にこんな青年がいるんです。ぜひ皆さん、応援していきましょう。

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